2011年09月03日

宗教

人は死んだあと、どこへいくのか?
我々や、我々が住むこの世界は、
いったいだれがつくったのか?
願いや希望をかなえるための
よい方法ってのはあんのだろうか?

そ〜〜〜んなようなことなんかは、
おおむかしの人たちも当然
考えたことでありましょう。
もちろん、それらの疑問についての
正しい答えなんて、わかるもんじゃあ
ないですよね。

厳しい修行を積むことで、
特殊な能力にめざめるだか、
備わるだかなんかして、
それらの答えを悟りうることが
できるんでしょうかね?

うん。それはありえなくもないかも。
なんちって。

あるいはなにか(仮想の)超越的な創造主
いわゆる神や仏に祈りや念をおくり続けることで
導かれるとか、お告げをたまわるとか?

それもやっぱし、絶対そんなの
ありえるわけねえよとまでは、いいきれない。かも。



修行を積むとか、仮想の上位的存在に祈る
といった、そうゆうような発想が、
人類の歴史のなかのいつごろに
どのようにしてうまれたのかなんてことは、
もちろんあっしなんかが知るわけもないですけど、
おおむかしっからってのは間違いないですけど

ひっくるめてそうゆうような「宗教っぽい」と
みることのできる行動とか考え方なんかは、
世界のいたるところで、様相は違えども、まあ、
みることができるわけですから、

そうゆう発想・設定は、人の集まりの中で自然に
うまれてきてたものなのかも知れませんね。


さて、そのいっぽうで

大昔からそうなのかもわかりませんけど
ことに現代の世での、宗教団体なる存在は、

それはそれは、教団の利益になる設定を
意図的にもうけ、たとえば「願いをかなえたければ
このようなことをしなさい」といった具合に、
宗教的意義?を絡めることで
信者の思考・行動をまさに教団の意図する方向に
むかわしめることが可能なわけで、

宗教を使った人心コントロールとでもいいましょうか。
その威力は、あっしらなんかが考えるよりも
きっとはるかに強力なのかもわかんないです。

極端かも知れませんがたとえばですけど
サリン事件とか爆弾テロなんかと比べたら、
新聞の勧誘・選挙運動、
銀行振り込みのお布施なんてのは、
かわいいもんかも知れませんネ。

posted by ちゅうた at 03:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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