2011年09月01日

信者

わたくしごとですが。

まあ、ブログなんで、
わたくしごとででんでん問題ないとは思いますが



実にわたくしごとで、なんなんですが、

最近、なんか、日蓮正宗の人がなんかすごい
アプローチしてくるようになっちゃって
あーもうこれじゃ、最初から関わんなきゃあ
よかったと、いまちょっと後悔してるんですけど。



日蓮正宗さんのこと悪くいうと、
創価学会のばか信者どもが、
ほんとにばかみたいによろこぶんで(※ばかだから)
それがまた実にはらだたしいというか
むなくそわるいから、
日蓮正宗さんのことは基本ノータッチ。

でも、そうわいっても、
かつてはですけど創価学会とは同一宗派というか
同盟みたいな関係なわけでしたんで、
それはやっぱり創価学会と同様な面が
多々多々あるのは当然のことで。。。


ま、たとえばですけど

信者さんのつねで、多分どこの教団の信者も
そうでしょうけど、
いったんその教団の設定を信じ込んでしまうと、
別な角度からの意見や考え方なんかは
受け入れられなくなっちゃうといいますか、
なんか、誰になんていわれてたとしても
自分は自分たちのその教団の説が正しいと
いうその立場をつらぬきたいみたいで、

話しててもどうにもらちがあかないんすよね。



つづきはまたこんど。 くえっくえっ

posted by ちゅうた at 02:16| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月02日

イマジン

イマジン オールダッピーポ〜♪

と。いきなしナンでしたが、
とにもかくにも、人間というもんは
いろんなことを想像できるので、
まあ、いろいろと
想像というのをするもんだと思います。


わたくしなども、しばしば
想像のつばさを自由にひろげては、
自分のその変態さ加減に
あきれたりもするのですが、
それはまあ、いいではないですかネ。

ほっとけーき。


そんなことは、まあさておき。

またくりかえしみたいになりますけど、
人は、実際みたり聞いたり体験したりしたことで
ないことでも、想像することはできてしまいますんで、
まあ、そのはばもいろいろですけど、

本当のところは誰にさえもわかりようも
ないことであっても、
いろいろと想像をはたらかせては、
こうだろうああだろう、と。

多分そういうのをおそらくは、ず〜〜〜っと大昔から、
人々はやってきてたに違いないでしょうね。

そして、そんなのがある程度まとまって、
いわゆる「思想」なるものを
形成してきたのだろうというのを
確かむかし、なんかで読んだような気がしますが。


あまたの宗教の、おおもとは
ほとんどおおむかしの人の
想像の産物ではないのかな〜とか、
そんなことをちょっと想像してみますと

そんなものに身も心も財産も捧げてしまったりとか、
憎しみあったり殺しあったり

人類の英知とはなかなかにすごいですよネ。
ばかみたいネ。

posted by ちゅうた at 03:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月03日

宗教

人は死んだあと、どこへいくのか?
我々や、我々が住むこの世界は、
いったいだれがつくったのか?
願いや希望をかなえるための
よい方法ってのはあんのだろうか?

そ〜〜〜んなようなことなんかは、
おおむかしの人たちも当然
考えたことでありましょう。
もちろん、それらの疑問についての
正しい答えなんて、わかるもんじゃあ
ないですよね。

厳しい修行を積むことで、
特殊な能力にめざめるだか、
備わるだかなんかして、
それらの答えを悟りうることが
できるんでしょうかね?

うん。それはありえなくもないかも。
なんちって。

あるいはなにか(仮想の)超越的な創造主
いわゆる神や仏に祈りや念をおくり続けることで
導かれるとか、お告げをたまわるとか?

それもやっぱし、絶対そんなの
ありえるわけねえよとまでは、いいきれない。かも。



修行を積むとか、仮想の上位的存在に祈る
といった、そうゆうような発想が、
人類の歴史のなかのいつごろに
どのようにしてうまれたのかなんてことは、
もちろんあっしなんかが知るわけもないですけど、
おおむかしっからってのは間違いないですけど

ひっくるめてそうゆうような「宗教っぽい」と
みることのできる行動とか考え方なんかは、
世界のいたるところで、様相は違えども、まあ、
みることができるわけですから、

そうゆう発想・設定は、人の集まりの中で自然に
うまれてきてたものなのかも知れませんね。


さて、そのいっぽうで

大昔からそうなのかもわかりませんけど
ことに現代の世での、宗教団体なる存在は、

それはそれは、教団の利益になる設定を
意図的にもうけ、たとえば「願いをかなえたければ
このようなことをしなさい」といった具合に、
宗教的意義?を絡めることで
信者の思考・行動をまさに教団の意図する方向に
むかわしめることが可能なわけで、

宗教を使った人心コントロールとでもいいましょうか。
その威力は、あっしらなんかが考えるよりも
きっとはるかに強力なのかもわかんないです。

極端かも知れませんがたとえばですけど
サリン事件とか爆弾テロなんかと比べたら、
新聞の勧誘・選挙運動、
銀行振り込みのお布施なんてのは、
かわいいもんかも知れませんネ。

posted by ちゅうた at 03:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月04日

じゅもんを唱えりゃぱっぱっぱ

ほかの人からみたら、
あんまし現実味あるように思えないような設定でも
その教団の信者はキホンまじめに
それにしたがって、いいことがあると信じて、
やるようにいわれたことをやるわけですね。

ほとんどの人が知ってることでしょうけども、
創価学会の信者のばあいは、
家で仏壇の前に正座して、
なんみょうほうれんげーきょー
なんみょうほうれんげーきょーと、
くりかえしくりかえし、となえつづける。ってゆうのを
やることになっていますね。

選挙運動や新聞拡張団(w)もそうですけど、
創価学会の信者の一番のキホンといったら
多分、この、お題目をたくさんとなえることだと
いっていいと思います。

そうすることで、
いいことがあったり願いがかなったり、
問題が解決する。災難から守られる。
と、ゆうような、

おおざっぱですけどだいたいそのような
設定ですね。


もちろん現実は、

毎日たくさんお題目をとなえてる人でも、
別に宗教なんてやってない人と同じで
なにごともすべてうまくいくわけではないですし
時にはラッキーなこともあるでしょうけど、
また時には、アンラッキーなことも、現実ありますね。

しかし信者は、いいことがあれば、それは
題目の効果だとゆう風に考えて、
自分の信仰はやはり正しい、
実際にこんないいことがあった。と、
ますますつよく信じて客観性を失ってくといいますか・・、

まあもともと客観性なんて無いのかもですけど


よくないことがあっても、けっしてそれは
題目のせいってことにはなりませんし、
キホン題目とはよいものなので(そうゆう設定なので)、
よくないことの場合はそれは、題目とか信心とかは
無関係か、あるいは、となえ足りなかったか・・、
なんかそうゆう別の理由をつけて、
納得しちゃうってのがパターンですかねぇ。

ちなみに、他人の場合のよくないことについては
もちろん、信心してないことをその原因に
あげますんで、

ひとことでいったら「うぜえ」の一語に尽きましょうかネ。

posted by ちゅうた at 17:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月08日

需要と供給

信者が求めてるのはなにも
ご利益ばかりってわけでもなくて、
むしろそれよりも、単に陶酔してたい
ってゆうほうのがつよいかもですね。

集団自己陶酔とでもいいましょうか。

教団がちゃんと(?)した演出で
ちゃんと信者のみんなに高揚感を
与え続けてくれてればいいんですけど、

しかしそれが足りなかったり、
うまくいってなかったりすると、
信者は不満を感じたりするんでしょうね。

あんま知らないですけど。



教団としては、あれですね。

ちゃんと信者を陶酔させ
要はインチキだなどとさとられないよう
うまく信者をその気にさせて、
そして信者もちゃんと、
現実なんかに目をくれたりせず、
その信仰にとにかく没頭
しつづけてられるような
そのような状態が、
カルトとしてはうまくいってる状態と
いえるんでしょうなあ。





みんながではないでしょうけど、
教団に不満があるってゆう信者さんって
どうもそのような状態をのぞんでるような
感じがして、どうも違うような気がして
しょうがないんですけど、

まあ、そんなことあっしには関係ないから
どうでもいいっすね。
posted by ちゅうた at 02:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月11日

信者の人って尋ねもしないのにやぶからぼうに自分の身の上話を語りだしたりすることがよくあるんだけどそれってちょっとうっとおしかったりしますわよね

タイトルどおり。

前から強くもってた感想なんすけど、
ずっとだれかに言いたかったのだ。

みなさんにも、覚えがあるに違いない。
posted by ちゅうた at 17:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月15日

敵の敵は味方とは限らないのよね

日蓮正宗のひとの話によると
創価学会の信者だと、なにやら
非常によくないってゆうことらしくて、
どうやらそうゆう設定のようなんですが、

しかしほんと、どっちもどっちというか、
まあ、いいんですけど。

こっちの見解としていちおう

「別に宗教・・というか所属団体というべきか
 それと他の出来事なんかは、
 実際関係ないものは、関係ないし、
 結びつかないでしょう。

 創価学会をいい宗教だなどとは
 思いやしないですけど、
 しかし創価学会の信者だからといって
 それが原因で、
 災難等にみまわれるなんてゆうことは、
 常識的にいってそんなこと
 考えにくい話ですよね」

的なことをいってみたりもするじゃないですかね。

あちらさんも、そうゆうとまた当然のことながら、

「いやいや、そうではない。そんなことない。
 ほんとうに、実際そうなんですって。」

と、いかにもみんな不幸な目に遭ってる
かのように、いうんですね。

「いやいやいや。実際そうだといっても
 実際、そうではないじゃないですかネ。
 創価学会の人みながみな幸福そうって
 わけではぜんぜんないですけど、
 しかしまた、みながみな
 不幸で困ってるってゆうわけでも
 なさそうじゃないですか」

「いやでも、ほんとうにそうなんですって。 
 日蓮正宗できちんと信心された方は
 亡くなられるときも、みんなほんとうに
 きれいな、成仏の相でなくなられるんですよ」

「いや。だから、
 創価学会の人だって、みんなそんな、
 すごい形相で死ぬわけじゃないでしょう?
 あんま人の死んだ顔なんて
 あんまり見る機会もないし、
 知らないですけど。」

「ほんとにそうなんですよ。
 きちんと日蓮正宗で信心された方は
 きれいな成仏の相でなくなられるんですよ」

「そんなこと知らねーよ」←とは言いませんでしたが、
こんなような話にもういちいちつきあってらんない
というのが正直なところなのですなぁ。

つづきはまたこんど こんどろいちん。
posted by ちゅうた at 02:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月25日

うざし。

日蓮正宗の人からの
チョイしつようなアタックが、
ここにきておさまったかなーと
思っていましたら、

こんどはまた、やっぱりですけど
創価学会の人たちが、
もうじき選挙だからってことで
やってまいりましたです。

どっちもいいよです。もうっ!


うちではウケてたけど。
posted by ちゅうた at 17:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月29日

修行

ニュースみましたよね。

修行(?)で女の子ひとり
亡くなっちゃったそうですけど。

殺されたというほうのが正しいか。
それとも、どちらかといったら事故に
近いんでしょうかね?

「霊がとりついてる」とかゆう話も実に
”いかにも”なんですけど、
その霊を大量の水で除霊できると、
逮捕された人は、ほんとにそんな風に
信じていたんですかねえ?
自分でそうゆう設定にしたんですかね?



創価学会や日蓮正宗の場合は、
「霊がついてる」とかゆう話はしないんですが、

【前世からの悪い宿業】だとか、
【邪宗の害毒】とか、【謗法】とか
あと【第六天の魔王】とか・・

まあ、なんだかんだで、じぶんたちの団体でもって
まじめに信心活動しないことには、
なんか、成仏できない、地獄に堕ちる。
みたいな、そうゆう設定になっていますよね。

呪文・・というか彼らが唱えまくるお題目などは、
そこに効力があろうともなかろうとも、
実際にそれが直接の原因になって
死んでしまったりなんてことは、まず
ありえようもない話なんで、
その分は、滝の修行とかよりは、
マシなようにも思えますが、

しかしあれだ。

選挙運動なんかで、罪障消滅とか
福運がつめるとか
そうゆうのまにうけちゃってる人なんかは、
少しほんとに、滝にでもちょっと
うたれてきたほうがいいかもわかんないですよね。

posted by ちゅうた at 20:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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